◆井上秀憲的色温度

撮影をしていると、WB(ホワイトバランス)という言葉が存在しますが、
僕はAWB(オートホワイトバランス)で撮っているカメラマンはまったく信用していない。
人間には、色気(いろけ)という言葉がしばしば使われるが、例えば、
吉野家の看板がブルーだったら、牛丼を食いに行きたくないであろうし、
一時期ブルーのコーラが出たが、僕は色彩的に飲む気がしなかった。
例えば、ブルーっぽい画面だと、少しCOOLで重い感じを残す事が出来るし、
赤っぽいと情熱的に感じさせる事も出来る。
どんな印象に見せたいかで、画面の色味、色気を変えていくべきだと思っている。
色から感じる気持ち、つまり色気こそが、撮影において重要な事だと思う。



◆井上秀憲的カメラアングル

僕はテレビをじっくり見るのが嫌いだ!
というよりカメラをやたらと斜めにしたり、
ひどいとCM前にカメラを回転させたりしているのを見ていると疲れてきてしまう。
後、話している言葉にテロップをその言葉のまま乗っているのを見ると 
大体チャンネルを回してしまう。
CM明けにCM前のシーンを少しリピートされると「その位は覚えているぞ!バカにするな!」と怒ってしまう。
あのテロップやリピートは視聴者をバカにしているとしか思えない。
さて今回はテレビで見る嫌なカメラワークについて僕なりの考えを書いておこう。
僕は、カメラポジションとは制作側がどの様にその被写体を考えて欲しいかの位置関係だと思って
自分のカメラワークを考えている。
特に女の子を被写体にする時は、彼女と思って欲しい時は、
少し女の子の目線より高めのサイドぎみのカットを多く撮影をする。
友達の女にしたい時は色々なアングルでできるだけ固定しないようにしている。
これは男とその女の被写体の位置関係でそんな気分を感じて欲しいという気持ちからだ。
自分の彼女なら横にいる時間は他の女に比べて長いであろうし、
ただの友達なら特定の位置関係を発生させないほうが変に感情移入しないと思うからだ。
手の届かないような女はローアングルのカットを多用している。
まるでコンサートのステージ最前列で見ている目線の様に…
これが正解という訳でない。
しかし、自分なりの考え方をしっかり持ってカメラポジションを作ることが個性であり、
その人間の作品性であるということを作り手は考えるべきであろう!!!!




◆井上秀憲的構図

僕はやたらとカメラを斜めにしたりするのが大嫌いである。
オクラを食べなきゃいけないのと同じくらい大嫌いである。
人生の中で、斜めに見えた瞬間がないからである。
テレビのCMの中で、カメラをグルグル回したカットを見ると
「お前は今、ジェットコースターに乗ってるんか!」と突っ込みたくなる。
ライブを撮っているとき、斜めのカットを撮る人がいるが、そんな目線でライブを見ている人なんていない。
バラードとかで少しフォーカスを外して目が潤んだ感じに見せたり、感情に合わせてカメラワークをして欲しいものだ。
天をあけて、空間を作ったり、目が強い時は唇を映さなくても目を映すだけで歌を表現できるアーチストに出会うと、
ライブを撮りながら構図を考えるのにワクワクしてくる。
アーチストのパワーが空間を広げるのである。
決まった構図しか画にならないアーチストはアーチストパワーが弱いと言えるだろう。
構図、特にライブの構図は、音楽を感じ、その人のキャラクターをどの形で納めるかの問題である。



◆井上秀憲的物撮

物撮 - ブツドリと言われる物単体の撮影のこと。
TVなどを見ていて、料理のアップなどが入っていると思うが、いわゆるあれのことである。
僕はこの物撮のカットを見ていて、時々腹立たしいことがある。
物がきれいに見えなかったり、料理がまずそうに見えたりすると提供した人がかわいそうに思えてきたりする。
基本的に僕の考えでは、まず料理なら、料理人の仕上げや盛り付けを見せてもらい、
そのシェフがどの位置から見ながらフィニッシュさせているかを見ておいて、その位置にカメラを置くようにしている。
今MTV JAPANで放映する“JAP STATE”という車の改造の番組を制作しているので、
カスタムカーの物撮をすることが多いが
この場合も、カスタムクルーがどの位置から見ているかを気にして、その位置にカメラを置くように心がけている。
答えは簡単だ。
その車や料理の作り手が最も気にしている目線、そこでOKを出したものならば、
そこが“物”のフォルムが一番きれいに見えるところに違いないからである。
何十年もそのことに携わった、その世界のプロの目線を、カメラを通して伝えることで、
少しでも多くの魅力を伝えることができると僕は信じている。
そして、少しでも、こだわりが伝えられた時、それは単なる“物撮”から解放されるのである。
物撮でその“物”を作った人の人柄や考え方、生き方が見えたら最高だと思い、“物”を撮っていきたい。



◆井上秀憲的キャラクター作り

先日ワークショップ的なことで、若手の役者達にキャラクターを作りながらエチュードにつなげていくというセミナーをやってきました。
今回は、電話のメモ(○○さんから△△さんへ、用件は…的メモ)をベースに、1人ずつキャラクターを考え、
最後に2or3人のグループでエチュードをやるというやり方で行いました。
短いセンテンスで、その人の年や性格、立場などを考察し、相手との関係性を考えていくという方法なのですが、
自分の理想的イメージで組み立てていく人が多すぎる。
例えば、いい大学と言えば“東大” その東大生が東大の同級生の彼女と24歳で結婚。
こんな人、僕はほとんど見たことがない。イメージの作り方がイージーすぎる役者が多すぎる。
もっと現実をしっかりと分析し、共感できるキャラクターを作り上げる能力を持って欲しい。
作品の中で3ヶ月の話でも、その人の人生すべてをとらえて、キャラクターを作ってもらいたい。
なぜなら、人間は、人生の経験すべてが、その人の人格となるのだから…。
キャラクター作りとは、そのキャラの人格を作る作業ということを忘れないでいてほしい。



◆井上秀憲的タイミング

“タイミング” 日本語的に言うと、“間(ま)”の事である。
つまらない事でも後ろに少しタイミングをあけて次につなげると、
その不思議な空間が笑いを生み出したり、意味を持たせる事ができる。
最近のいろいろな舞台やテレビを見ていると、実にこの“間”をつぶしているものが多い。
タイミングをしっかり作れていないおかげで、キャラクターやストーリーが一片的なものとなり、
いろいろな空想をするスペースや広がりが無くなってしまう。
実世界の中でも、“間(ま)の悪い奴”というのがいるが、
それは、相手と話している時“タイミング”という事を何も考えていないからであろう。
芝居の中でも、そういう物を理解していない役者が多すぎる。
先日、ある舞台を見に行ったが、自分の台詞を言う事だけに精一杯で、タイミングなんて、まるで無視。
相手の事を考えず、自分の前の台詞が終わったら、すかさず自分の台詞を言い出す始末。
こんなのだと、ストーリーの意味を全て殺してしまう。
まるで、ネタをばらして手品を見せている、つまらないショーの様だった。
演じる側だけの問題ではない。
テレビ局の人とかが多いのだが、面白いところをガンガン直結してつないでくれという要求があまりにもここ数年多い。
こんな事をすると、受け手側に一方的な方向性を押し付けるだけだし、面白いものを感じる時間すらも与えていない。
だから、テレビが最近つまらなくなっている気がする。
“タイミング”の必要性をもっと考えて、物作りをしてほしいと思う、今日この頃である。




◆井上秀憲的キャッチライト

スチールから生まれた手法ですが、目に入る光を“キャッチライト”と呼びます。
よく少女漫画などの目の玉に白いキラキラがあったり、白い点があったりしますが、
あの白い物だと言えばわかってもらえるでしょうか?
300wのアイランプを人物の前に2段や3段縦に積んで、カメラのすぐ横に置いて撮ったり、
アイランプ+レフの裏(白い方)を使って撮ったりします。
僕はだいたい編集でトーンカーブの下の方(アンダーの部分)をよりアンダーにしていって、
影を強調し、彫りを深くすることが多いので
キャッチが入っているほうがより人物がいきいきとしてくるし、目に力を感じられる顔が撮れる気がしています。
特にキャッチポイント(場所)は気にしています。その先にあるものを見つめている感じができ、
視線を画面上でコントロールできるからです。
目に少し力を与えたくないとき(例えば悲しい時や悩んでいる表情を撮りたい時)は、
ハニーの500とかをよく使っています。
キャッチライトをコントロールすることで、感情や視線を画面上でよりコントロールできるはずです。



◆井上秀憲的読解力

最近、キャラクターを台本やコンテから読めない人に会うと、本当にがっかりする。
コンテに書かれている行動や台詞から自分のキャラクターを洞察してほしい。
こんな動きをする人だったら、こんな性格の人だとか、こんな表情をする人だ…とかきちっと考えてほしい。
僕が考えるに、これは、テレビという文化があまりにシステム的に制作することをやりすぎて、
それに慣れてしまった役者やミュージシャンが増えたからではないかを思う。
例えば、ばみりとか目線を出すとか…
目線を簡単に固定されることで、表情とかを作れなくなった人も増えているのではないか?
役者やミュージシャンをダメにしているのは、何も考えずシステムに押し込んだ制作者なのかもしれない。



◆井上秀憲的マルチカメラ

最近のカメラマンは、1カメで収録していることが多いせいか、マルチカメラでスイッチングしていると下手でしょうがない。
特に、ライブなどで生カメラをスクリーンに出していると、本当にがっかりしてしまう。
例えば、3カメや4カメで撮っていて、そのうち2台がタワーに上がり、三脚をつけているとする。
ステージ前に2台手持ちのカメラがあるとする。このステージ前の2台を水平を無視してぐるぐる傾けていくバカがいる。
水平のとれたカットとカットの間にそんな画が入ってきたら、異質に見えることが予想できないのだろうか?
編集を理解しないカメラマンが多すぎる。
映像は総合芸術と言われていた時代はもう終わったのだろうか?
チームプレイできないカメラマンの人々は、カメラマンという職業をもう一度きちっと考え直して欲しい。